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英語を始めたきっかけって何でしたか?
(英語学習していない人は)その続けていることをやり始めた理由って何でしたか?
仕事で必要で強制的にやる事になった人、
(再)就職に有利そうだから始めた人、
英語を使う仕事に就きたいと思った人、
付き合った彼氏(彼女)が英語圏だった人、
何となく英語は話せた方がいいと思った人、
どんな理由だったとしても、今も英語学習を続けているとしたらプラスだったという事ですよね?
自分にとってマイナスにしかならないものを続けている訳ではないでしょうから。
後から物事を思い返した時、やって良かったなと感じた時、
必ずもその始まりは「いい事」とは限りません。
今の時点ではまったく繋がりそうにもない事でも、やる機会があるのなら、気になっているのなら、やってみた方がいいのだと思います。
きっとそれは、未来のあなたが、「数年後に、何十年後に必要になるから準備しといてね。」と伝えにきたのかもしれません。
書くことの不純
題名を見て、「書くことが不純?」「なぜに?」と思い、読んだ本です。
著者は角幡唯介氏。
探検家です。
本の中で、書くことを前提に山に登ると書いています。
書くことをしていると、自分の命を危険にさらす方が本が面白くなると考えてしまうと。
それを不純と言っているのでしょうか。
これは、自分にも思い当たる事があると思うのです。
命を危険にさらすまでにはならないとしても、写真をSNSにアップしたいから、お洒落なレストランとかで食事をしたり。
SNSだけが理由ではなくても、それらの行動に背中を押してくれるのはあると思うのです。
「不純」だとしても、経済効果は上がりそうだし、この場合の行動は明るい話です。
度が過ぎたり、何でも写真や動画に収めようとしたり、迷惑顧みずな部分もあり得ますが。
自分はSNSはやらない。
はい。
では、自分を悲劇のヒロイン化しちゃうことってありませんか?
「私なんかどうせ。」と捻くれてみる。
自分では誰かにアピールしているつもりはないかもしれません。
現状を捻じ曲げて考えて、ドラマチックな展開とし、外側にではなく自分の内側でおもしろく盛り上がっているのかもしれません。
(いえ、本人は苦しんでいることあるんですよ。)
きっかけが「不純」だったとしても、続けていくうちに「純化」されていくことは多々あります。
不純だったからこそ分かる事ってありますよ。
著者は「夭折者が美しいのは人類の普遍構造たるこの届かなさが死ぬことにより体現され、しかも永久に摩滅することがない。」と書いています。
この文章に、強い同意と嫉妬心が湧き上がります。
自分の大切な誰かが失った誰か(何か)。
それは自分の大切な人にとって永遠に「 pure 」となってしまうのです。
その神聖さを自分は超えられないのではないかという不安に覆われます。
中学生の頃、同級生が自分で焼いてきたパンプキンクッキー。
パンプキンクッキーを初めて食べた私。
最高に美味しく、未だあの味を超えられるパンプキンクッキーには出会えません。
初めて食べた時の記憶が味を美化し、その後の他のパンプキンクッキーを食べるたびに同級生のクッキーを確固たるものへ強化し続けます。
多分私はこれからも、あの同級生が焼いたクッキー以上に美味しいパンプキンクッキーを食べることはできないのです。
今、ケーキ屋さんなどで販売しているパンプキンクッキーの方が断然おいしいのだろうとは気づいているのですが。
崇高さ漂う本を紹介する中で、私のクッキーの話は余計でしたでしょうか。
「表現は行為に対して不純」
自然に真正面から向き合っている探検家だからこそ、この一文が重く大きく響くのです。
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